タカオブログ

ポンポンポン、ポンポンポン

『リトル・マーメイド』をクィア・リーディングしていた

地球のみなさんこんにちは。

金曜ロードショーで『リトル・マーメイド』が放送されましたね。

いもうとが録画をリビングでみているので、横目でみながらこれを書いています。

 

そういえば去年のいまごろ、

「ディズニー映画をジェンダーの観点から読みとく」みたいなゼミをとっていて、歴代のプリンセス映画を白雪姫からモアナまで毎週一本ずつみていました。院試の直前なのになーにやってんだという感じでありますが。

 

アリエルは「ひとめぼれ!キス!」みたいな物語だとおもっていたので、ぜんぜん好きではなかったし興味もなかった(いまでもその部分はピンとこない)のだけど、授業の予習でみてみると想像よりおもしろくてびっくりした覚えがあります。

歌がいいのはもちろん、ストーリーの構造やモチーフもかんがえだしたらキリがないくらいおもしろくて、授業のディスカッション後にはけっこう好きになっていました。

 

そんなこんなも一年前か〜と思って

当時のノートと課題として提出した文章

を引っ張りだしてみたところ、いちねん寝かせてもわりと面白いかもだな〜調べてもおなじような視点の文章はないね〜とおもったのでのっけてみる。

実はアリエルは王子に恋をしていなかったのでは?という説について述べてみます。わたしはこれをトリトンがアリエルに足を与えたシーンでふと思いつきました。なぜだか分からなかったけれど、このシーンを見て「ラッキー」と思った自分がいたのです。その理由を映画を振り返りつつ考えてみました。

映画全体を通じて、アリエルの最大の関心は「人間界」に向いていました。人間の作った道具や作品の美しさにうっとりし、膨大なコレクションを持ち、危険を冒してでも人間の情報を得ることに執着しています。人間界との関わりは禁忌であるため周囲には自分の嗜好/志向を隠しつつも、どこか「風変わり」な者として扱われたり、家父長制に違和感を抱く。こうした要素からは、ともするとクィア」としての一面をを持ち合わせていると読めます。

ここで、もしアリエルが王子に恋をしていない、あるいは恋という感情自体をあまり理解せずに、周りの大人や友人に「恋という素敵なものがある」という、それこそ「シンデレラストーリー」のようなものを聞かされて頭で知っていただけだと仮定してみます。(2023/6/5追記 アリエルはAroのスペクトラムにいる、と期待して読んでいますが無論そこにはあてはまらないかもしれない)

人間界に近づく、あるいは人間になるための手段として、「自分は恋をしている」ことにしたのではないか。そんな風に考え始めると、地上での初日を終えてすぐベッドに倒れこみ満足そうに眠る姿も、王子に自分からほとんどアプローチができなかったことにも、合点がいきます。キスを目的に王子と接するアリエルは(声を失ったということを加味しても)どこか浮ついており目が点になっていますが、人間界の生活を体験している時の目は輝いているように見えました。

最終的にトリトンは「そんなに王子を愛しているならば仕方ない」という理由で魔法をかけましたが、アリエルが単純に人間になりたかっただけだとしたら、「目的達成!いろいろ巻き込まれて大変だったけど愛がすべてを乗り越えたってことになったらしい!ラッキー!」と思ったかもしれません。「素敵な男性に恋をし、それがたまたま人間だった」というラブストーリーがあれば、伝統的な父親の反対も、(恋をせず妄想ばかりしている)変わった娘というレッテルもなかったことになると気づいたアリエルは社会構造をハックする賢い革命家に姿を変えます。

なんてことを考えました。もちろん続編?では王子と幸せに暮らしているぞという指摘もあるかもしれません。が、この説は間違っている!とかやっぱりアリエルは無性愛者なのだ!と議論したい訳でもなく、ただ「こんな見方もできちゃった」いうだけの話なのではないかと思います。

(2023/6/5追記 劇中で何度かキスをしていることからもアリエルがAceのスペクトラムにもいるのか、いるとして自認があるかどうか、いないとして今後どうなっていくのかは議論すると楽しそう。ちなみに続編では子供も生まれている。)(2023/12/29追記 さいきん研究者や作家、有名人に特定のアイデンティティ・ポリティクスがあることや、それを表明すること、それらに期待することの暴力性について考えたけれど、だからこそフィクションの存在は批評において重要なのか、はたまたそこにも倫理性が問われるのかどっち/どこまでなんだろう、とかを考えています)

わたしは、そんな見方ができること自体に面白さがあるなあ、とか、自分たちの世界の見方も変わってくるかも?と思いました。

 

 

こんなカジュアルな文章でも課題として受け取ってくれた教授にありがとうです。

 

当時は「クィア・リーディング」という言葉すら知らなくて、なんかこういう試みってあるのかな?と思っていろいろ調べたらポロポロでてきて、そこではじめて知った覚えがある。「リトル・マーメイド」においては、ほかのディズニー映画と同様に「ヴィラン」の魔女アースラがクィアとして解釈されることがおおい。

 

ちなみに短歌も書いていた。

 

アンダー・ザ・シー あなたらしいと言われるため愛を知るふりをした

ー「夢の夢の国」

 

ノートには、教授は大人になってからみたとき「あ~冷戦の話だな~」と思ったらしい、とメモが残っていた。西側諸国にあこがれて越境しようとするソ連や東欧諸国(というよりそれをプロパガンダしている文明国としてのアメリカの植民地主義パターナリズム?)を想起したらしい。いまならなんとなくわかる気がする。たしかにPart of Your World もかんがえてみれば歌詞は露骨だ。名曲だけど。

 

こんかいの金曜ロードショーは、実写版「リトル・マーメイド」の公開にあわせて放送された。ちょうど一年前の授業では「どうやら来年には黒人のキャストで実写化されるらしいぞ」と話題になっていて、それについても盛り上がった覚えがある。気が向いたら観てみたい。

 

ちなみに、わたしの妹(映像系の学生さん)は実写版の予告映像をみて「これCGがすごいと思わせておいいて実は作りは簡単なやつ、製作陣はコストかかんなくてラッキーだと思ってるはず」とか言っていた。へえそうなんだ。